喜怒哀楽の「怒」の欠如

こうするべき
こうあるべき
これは正しい
これは正しくない

人は普段から、色々な「べき」「ねば」で無意識に物事をジャッジしているけれど、

この作り上げられた思い込みや判断の物差しは
幼少期の体験や親子関係に起因すると言うのはよく聞くはなし。

つい先日、
自分を生きにくくしていた「べき」を発見して、「ああ、そっか」と思ったことがありました。

それは、「怒り」という感情の扱い方。

「怒りの感情を出すべきではない」

と思ってた自分に気づいたんです。

怒りを表現するのは恥ずかしいことだ、と。

喜怒哀楽の「怒」を感じないように、ないものにしてました。

この思い込みに気付いたのは本当に最近。

で、この思い込みの原因はどこにある?を考えてて思い至ったのが、父との関係です。

わたしの父は、
昔から短気ですぐにキレて怒鳴りちらす人。

本当に、「散らす」っていう表現がぴったりなくらい 笑、当たり構わず大声で怒鳴る。

怒りの沸点が低い。

昔から母との喧嘩が絶えず(今も)、
毎日何度も大声で喧嘩をしてました。

家の中でも外でもそれは変わらず、
外食にいっても、

頼んだものがでてくるのが遅い
美味しくない

とか、気に入らないことがあれば
大声で文句を言う。

そんな父を側で見ていて、
「こうはなりたくない」と反面教師にして
成長しました。

特に、外で文句を言うのは、
一緒にいる身内として恥ずかしい思いを何度もしたので、それがトラウマになってる節もあります。

そんなこんなで、

「怒り=悪いもの」

という物差しが出来たみたい。

だから、「怒る」のが苦手です。

人に何か嫌なことをされても
自分の中に原因を見つけようとするし
スルーして早く忘れようとする。

平和主義なので、なるべく人と争いたくない。
自分が我慢して丸く収まるならそれでいい。

と思ってました。

「怒り」の感情を味わわないようにしてたんですよね。

で、このことがパートナーシップにも悪影響を及ぼしてたんだなと気づいたのも最近 笑。

なんで?

と思うことがあっても、

「悲しい」は出てくるけれど、
「怒り」は出てこない。

それは出てこないんじゃなくて、
抑圧していたのだなと。

怒りをだすと
父のように嫌われると思ってたから。

自己肯定感の低さとも関係してくるけれど、
自分の感情を大切にしていなかったんですね。

だから、1人で勝手に消耗して、我慢して、ダークサイドに落ちていく 笑。

ああ、なるほどな、と。

これに気づけたことは大きいので
自分を大切にする1歩にしたいと思います。

どんな感情も感じきる。

どんな感情も否定しない。

相手じゃなくて、「自分」は今どう感じてる?
自分の感情に目を向ける。

自分に正直に生きていく。

「喜怒哀楽」という言葉にあるように、
「怒り」も人にとって必要な感情ですもんね。

そう思うと、アンガーマネージメントの逆があってもよいのかも。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です